こんにちは。広島県とグアナファト州は友好提携があり、各自治体間で様々な交流があります。また、広島県は東京オリンピックパラリンピックの事前合宿で、メキシコ選手団のホストタウンとなったことが話題になりました。
その交流の絆が深まった裏には1人の女性の活躍がありました。
今回ご紹介するのは、長年広島県で通訳に携わり、メキシコ選手団を広島県に誘致した際に通訳をサポートしてきた玉木裕子さんです。玉木さんはどんなきっかけでスペイン語の通訳になり、広島県でご活躍されたのか。そして今なお通訳に関わる中で、今後どのようなことをされたいのか。ご本人にインタビューをしました。
<目次>
スペイン語との出会いは青年海外協力隊員
ー玉木さんは、大学でスペイン語を専門に勉強したのではなく、音楽大学ご出身です。そこからスペイン語に出会ったきっかけは何だったのでしょうか。
玉木さん:私はスペイン語学科卒業ではなく、1980年代にJICAの青年海外協力隊員になったことがきっかけでした。私自身は音楽大学を卒業しています。在学中、障害児教育に興味を持ち、音楽を生かせないかと模索していました。卒業する際、就職先はどうしようかなと考えていたところ、友人に「JICAの青年海外協力隊員で音楽教師を募集しているよ」と誘われ、あれよあれよと、ホンジュラスに行くことになりました。メインの業務は、大学の教養学部で音楽を教えることでしたが、障害児施設でも、ボランティアをしていました。
その後、音楽教師として働きながらスペイン語を勉強し、国際ロータリー財団の奨学生になりました。その後、ホンジュラスに滞在中に旅行したメキシコに行き、メキシコ国立自治大学(UNAM)の語学学校に入学しました。そこで児童福祉・心理学の授業を聴講生でいいから受講したい旨をUNAMの教授に連絡したところ・・・ なんと大学の教授がストライキをしたためキャンパスに生徒も教授もいないという事態になっていました。それでも、大学の教授が別の教育機関で講座を開講していたので、有料でも受けたいと思い勉強しました。
1人の女性との出会いが運命を変える
そんなある日、私の運命を変える出会いがありました。
ー運命の出会いとは?
玉木さん:メキシコの私立大学で教育学部長をされていたGabyさんです。心理学を専門とし、分析カウンセラーとしてもご活躍されている方です。友人を通じて知り合ったのですが、彼女と意気投合!そんな時に彼女から「Terapia Musical(音楽療法)をテーマにして、私が務めている大学で、セミナーをやってみませんか」と依頼がありました。
講演会だなんてやったこともないから出来るかな・・・と思っていましたが、思い切ってやってみたところこれが大盛況!私自身もとてもやりがいを感じ、この講演会をきっかけに約2年間大学でセミナーだけではなく、Universidad Intercontinental に当時としては珍しかった自閉症の子供のための施設を建設した際、お手伝いもさせていただきました。
こうしてメキシコ生活を過ごしていた時に駐在員としてメキシコに来ていた主人と出会い、結婚。日本に戻りました。丁度日本はバブルがはじけた頃で、私は出産も経験しました。
子育てをしながら通訳として活躍
ーご結婚・出産を経て、今でも通訳を続けられています。
玉木さん:日本に戻ってきた後、子育てをしながら8時間フルタイムで仕事をするのは難しいと思い、特に通訳を派遣する会社にも登録はしていませんでした。それで、結婚前から通訳として働いていたJICAの仕事を広島でも続け、短期の研修の仕事を年2、3コース担当していました。JICA中国のある広島にはスペイン語通訳がとても少ない状態。そんな時、ペルーやコロンビア、ブラジルから外国人の方が多く広島県にやってきてこともあり、法廷通訳としての需要も高まりました。
ー玉木さんがスペイン語の通訳として、子育てしながら頑張っておられたんですね!
玉木さん:広島県はグアナファト州と友好提携があるにも関わらず、スペイン語学科やラテンアメリカを研究する大学などもないのは少々寂しいところでもありますね。そうしたスペイン語が学べる環境が、今後広島県でも充実したらいいなと願っています。
再来週、メキシコついてきてくれる?
ー子育てをしながら、通訳をしてきて60代になる直前、そこでまた玉木さんのターニングポイントとなる出来事がありました
玉木さん:60代になる直前、通訳の仕事をやめてのんびりしようかな、と考えていました。そんなある日のことです。広島県の方から「スペイン語の通訳を探している」と連絡があり、急いで県庁へ面接に。すると「再来週メキシコに行くから一緒に来てください」という突然のオファーにびっくりしました。そしてメキシコに急遽行くことになりました。
ー本当、いきなりのオファー!どんな案件だったのでしょうか。
玉木さん:東京オリンピックパラリンピックの事前合宿の誘致です。当時は誘致合戦で、広島県はなかなかメキシコ・オリンピック委員会に繋がることが出来ず大変苦労していました。いざメキシコシティに行き、メキシコ・オリンピック委員会(MOC、Mexican Olympic Committee (Comité Olímpico Mexicano))にマツダの法務部を通してレターを送り続けたりと、手を尽くしていた広島県でしたが、この時ばかりは、秘書が機転を利かせて、うまく上司につないでいただいたおかげで、これまでなかか進まなかった案件がやっと動き始めました。
ーつまり、玉木さんが選ばれてアポ取りをしていなかったら、広島にメキシコ選手団が事前合宿で来なかったかもしれないんですね。そう思うと玉木さんの功績は素晴らしいですね。
玉木さん:スペイン語の通訳は必要だったかもしれませんね。でも、広島県は背水の陣でメキシコに行ったので、この秘書がいなければ合宿誘致は成就しなかったかもしれません。
ーそして晴れて広島にメキシコの選手団がいらっしゃいました。
玉木さん:県全体でおもてなしをしました。広島県内からボランティア通訳を集めて、各市町村に振り分けました。事前合宿に来た選手を広島カープの試合の始球式に招いたり、県内の小学校の体育の授業を指導してもらったり…。必ず、平和公園での平和教育をスケジュールに盛り込んで、原爆や平和について学んでもらったりしました。 県を挙げての一大イベントになりました。
オリンピックで終わりではなく、これからの交流が重要
ーそんな広島県ですが、県内ではメキシコとの繋がりを見たり体験できる場所はありますか。
玉木さん:オリンピックが終わった今は、レガシーをどのように活かしていくのかが課題となっています。広島グアナファト親善協会では毎年5月に行われる広島フラワーフェスティバルでメキシコのマリアッチの演奏を企画しました。2019年までは平和大通りに特設ステージを設けて大々的に開催するのですが2020年は中止、2021年はオンライン、そして今年やっと屋内でメキシコ人のミュージシャンを呼んで行うことが出来ました。他にも、広島県福山市の体育館にあるクライミングの壁をメキシコの国旗の色に染めたりしました。
オリンピックが終わったから終わりではなく、それが交流の始まりだととらえて、COVID19のパンデミックも落ち着いた今、友好提携交流を活発化させていけたらと考えています。
ライフステージの変化や年齢を気にせず、多くの人と出会ってください
ー玉木さんの通訳人生の中で、大切にしてきたことを教えてください。
玉木さん:”人の縁”ですね。通訳をしていると私を介さず両者が繋がっているのではと感じたことがあります。その最たる例が湯﨑広島県知事と、MOCのCarlos Padilla会長です。湯崎知事はメキシコと広島県の関係に力を入れている方なのですが、この2人の通訳に入った時、通訳がとてもやりやすかったことが印象に残っています。
もう一つの”人の縁”は、これまでの私の人生の中での出会いです。私も60代になりもう落ち着こうかなと考えていた時、ちょっとした縁がきっかけで東京オリンピックパラリンピックの事前合宿の誘致や事前合宿に関わることができました。長い人生で、様々ライフステージを経験する中でキャリアを諦める女性も少なくないと思いますが、年齢なんて関係ない。出来る限り多くの方に出会い、多くの経験をしてほしい ーMEXITOWNの読者の方でも駐在のご主人に帯同・出産・介護などで悩まれている方がいて、私のインタビュー記事を読んで少しでも何かのヒントに繋がれば、これ以上に嬉しい事はないです。MEXITOWNさん、ありがとうございました。
ーこちらこそ、勇気をいただけたような気持ちになりました。ありがとうございます!引き続き広島県と友好提携をしたグアナファト州の交流、盛り上げていきましょう!
編集後記
音楽大学で学び、その後青年海外協力隊員を経験してメキシコに行き、スペイン語の通訳をされたという玉木さん。ご自身が最もこのキャリアパスに驚かれているかもしれませんが、決められたキャリアパスなどないということを玉木さんのインタビューをした後に思いました。人との出会いによりキャリアパスはいかようにでも変化し、その都度自分が活躍できる。MEXITOWNのインタビューでも繰り返し出会いが大切だと皆様お話しされていますが、改めてその重要さを実感しました。
COVID19がある程度落ち着いた今、広島県の皆様はグアナファト州との友好提携交流に向けて計画を立てています。グアナファト州にお住いの日本人の皆様、是非両者のこれからの交流に少しでも興味を持っていただけることで、その裏に関わる方の活躍を認識してください。