こんにちは。篠原誠二です。今回はいつもの連載からテーマを変えて特別記事として、今から37年前の今日9月19日にメキシコシティで起こったメキシコ地震の時のお話しを、私が実際に撮影した写真とともにお伝えしていきます。
1985年9月19日午前7時17分。ミチョアカン州・ラサロ・カルデナスを震源とするマグニチュード8.0の地震が起こりました。メキシコシティは震源地から350km離れているにもかかわらず、数分後に地震波が到達し、大きな揺れが3~4分ほど続きました。
私も家族も無事でしたが、メキシコシティの街は大混乱。外に出ると多くのビルが倒壊していました。
冒頭でもご紹介したこちらの写真は地震発生時の時刻から、しばらくは動いていたであろうという時間を指したまま、止まっています(※1)
メキシコシティはテスココ湖を埋め立てたところにあることから地盤が弱く、震源地から遠く離れていても大きな被害を受けました。死者約1万人、被害総額は3億~4億米ドルといわれいます。
3枚目の写真では、遠くにラテンアメリカタワーがそびえています。ラテンアメリカタワーは倒壊を免れました。
IMSSの前には被害者の応急処置用の臨時テントが沢山設置されていました。
教会の前のテントで仮住まいをしている様子です。
現在のMonument to the Revolution (革命記念塔)目の前の写真です。
私は復興に向けて人々が前向きに進んでいる様子も見ることが出来ました。
カメラを向けると、地震で家族や知人を亡くして辛いかもしれないのに、少しだけ見せてくれた笑みが忘れられません。
こうして37年前に撮影した写真を通して、読者の皆様がメキシコでも大きな地震が発生したこと、また現在のメキシコシティがあるのはその当時の多くのボランティアの方々による、復興に向けた努力があったことを忘れないでいただければ幸いです。
※1 この写真は1986年読売新聞社の写真コンテストで受賞しました
Wikipedia メキシコ地震(1985年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87_(1985%E5%B9%B4)
※写真の無断転載・商業利用はご遠慮ください。
MEXITOWN 篠原誠二氏のインタビューはこちら
経歴:
篠原 誠二 Seiji Shinohara
北海道生まれ。26歳の時にメキシコに渡墨。メキシコ在住歴46年。
公益社団法人 日本写真協会 会員
COPARMEX グアナファト州 レオン地区 文化担当顧問
CLUB FOTOGRÁFICO DE MEXICO A.C. Fundado1949 国際文化交流理事
(社) 日墨協会 FOTO CLUB AZTECA NIPPON 代表
FUJIFILM de México Oficial Photographer
1995年~1996年日墨協会事務局長
2015年~2016年日墨協会理事 広報出版部長
これまでにメキシコシティ、モンテレイ、レオン、トルーカ、タパチュラで23の写真展を開催。
著書:"移民一世の肖像Retratos de los Inmigrantes Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2009)
"日系二世の肖像 Retratos de la Segunda Generación de Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2011)
"日系三世の肖像 Retratos de la Tercera Generación de Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2013)
"ARROTILLA 日本―メキシコ国際結婚の結実 Los Matrimonios de Japoneses y Mexicanos" (Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2015)