こんにちは。今回は、メキシコ国立人類学歴史研究所の歴史研究科のSergio Hernandez Galindo教授にインタビューしました。 彼はメキシコの日系人の歴史において有名な研究者であり、日本でも働いた経験があります。 本インタビューでは、日本に滞在したときの体験から、日系人の研究を始めた理由などについて語っていただきました。
Interview in English
<目次>
出稼ぎ労働者の研究がターニングポイント
ーおはようございます。 MEXITOWNの取材にお時間を割いていただき、誠にありがとうございました。 まずは、Sergioさんのご経歴をお聞かせください。
Sergio氏:この度はインタビューの機会をいただき、ありがとうございます。 現在、私はメキシコの国立人類学歴史研究所の歴史研究科で研究を行っています。私はメキシコ国立自治大学(UNAM)の経済学部を卒業し、El Colegio de Mexico のアジア・アフリカ研究学部で修士号を取得しました。 私の専門は日本研究でした。 この頃から日本に興味を持ち、より日本への理解が深まりました。
EL Colegio de Mexico での私の研究テーマは、日本の「下請け」システムでした。 私は日本でこのシステムについて研究していました。 その後、1992年から1993年まで、外国人労働者制度の一環として神奈川県庁で働きました。 神奈川県庁の労働局に所属し、横浜にいる出稼ぎ労働者を取材。 神奈川県には何千人もの出稼ぎ労働者がいました。
私の”出稼ぎ労働者の調査プログラム”では、日本におけるペルー人とブラジル人の生活状況を理解することが重要でした。 私は、行政機関が彼らの最低賃金について知らなかったことに驚きました。出稼ぎ労働者は日本語を話せなかったので、彼らの生活は非常に厳しいものでした。
ー最近、コンビニやスーパーを中心に日本で働いている外国人労働者を多く見かけました。 Sergioさんが神奈川県庁に在籍していた時の出稼ぎ労働者は、どの業界で最も多かったのでしょうか?
Sergio氏 : 彼らは主に土木工事などの建設業界、清掃業界、小さな町工場で働いていました。 それらは、日本人が働くことを拒否する業界や職種です。 日本のコンビニやスーパーで働く最近の外国人労働者は彼らの子供で、日本語が話せるのではないでしょうか。 それが私がで化石労働者の研究をしていた頃とは違う状況です。
日本の伝統を楽しむSergioさんの奥様とお嬢様
日本での生活は私の忘れられない思い出
―日本に対する印象と、神奈川近郊のおすすめスポットを3つ教えてください。
Segio氏: 私の家族は親切な近所の方にとても感銘を受けました。横浜は私の一生の大切な思い出の一つです。
神奈川近郊のお気に入りスポットは、
1. 河口湖
富士山の近くには、訪れるべき場所がたくさんあります。 河口湖からは富士山がとても綺麗に見えます。 それは私の忘れられない思い出です。
2. 横浜
横浜駅はとても面白いです。 横浜で家族と様々なお店で買い物を楽しみました。 もちろん、神奈川県庁やみなとみらいの近くでも。週末を過ごしました。横浜中華街もとても面白く、美味しい中華料理を食べたことが楽しかったです。
3.温泉♨
私の家族は旅館に泊まり、富士山の近く、特に箱根で温泉を楽しむのが大好きでした。 箱根には素敵な美術館がありました。 箱根は横浜や東京からのアクセスがとても便利です。
出稼ぎ労働者の調査プログラムを終えてメキシコに戻った後は、その後再び横浜国立大学で客員教授として半年間勤務しました。
(写真上)Sergio氏の奥様とお嬢様、鎌倉にて
(写真下)Sergio氏と奥様、富士山付近にて撮影
ー日本ではどのようなカルチャーショックを受けましたか。
Sergio氏:日本を訪問した学生グループの中には、日本文化にカルチャーショックを受けたという人もいます。 しかし、私の場合、大きなものはないと思います。 私はすべての文化をオープンに受け入れm理解しようとしています。 カルチャーショックについてあえて言うなら、2点ほどあります。
まず、地下鉄や鉄道の駅には非常に多くの人がいます。 私にとって日本の地下鉄はとても驚きました。 日本にはこれほど多くの人が生活し、毎日通勤しているとは想像もできません。 メキシコシティよりも人が多いと思います。
もう一つは、私と妻が和式トイレにショックを受けたことです。日本に来るまで、 こうした床に設置されているトイレを使用したりしたことはありませんでした。
でも、総じて、私たちは日本で楽しい時間を過ごしました。
ー奥様は日本でも働いていました。
Sergio氏:はい、妻はレストランでアルバイトをしていました。 私は神奈川県で一日中働いていますが、彼女はまったく働いていなかったため、退屈にならないよう働くことにしました。 彼女は昼食時に日本の労働者の状況を理解しようとしたことで、仕事を楽しんでいました。 彼女は日本語を話し始めて、言語の習得や理解することは決して大変ではないことに気付きました。彼女にとって忘れられない経験でした。
日本での思い出 (真ん中の写真のみメキシコで撮影)
歴史では語られなかったメキシコの日系移民
――出稼ぎ労働者にインタビューした経験が、現在も続けているメキシコの日系移民の研究につながったといえますね。
Sergio氏:そうですね。 私がメキシコの日系移民の歴史の勉強を始めたきっかけについてお話しさせてください。
日本から帰国してからは、INAH (Instituto Nacional de Antropología e Historia) の教授を務めていました。そこには、政府が集めた秘密のアーカイブ資料がありました。 すべての文書は、第二次世界大戦中にグアダラハラとメキシコシティに集中していた日本人移民の一部についてでした。 私はこれらのアーカイブ資料を見つけ、メキシコシティとグアダラハラで多くの歴史と移民を調査し始めました。 このすべてのファイルは、メキシコにいる 2000 人の日系人家族全員についてのものです。
それが私たちの間で認識されておらず、これらの都市にこれほど多くの日系移民が送られていることを知らなかったことに、ショックを受けました。
約 20 年前、私が移民に関する調査を開始したとき、何人かの教授が一般的なメキシコの公文書館に公文書を探しに行きました。 それから、私は人々にインタビューし、すべての家族について知るように努めることにしました. 驚いたことに、彼らは公開されている情報がアーカイブ資料に保管されていることを知りませんでした。
私は彼ら全員に、彼らがどこに住んでいるか、どこで抑圧されたのか、そして祖父母のことを知らなかったのかを聞きました。 この時点ですでに、日系移民すべての人にインタビューを行い、本当の歴史を知ることは非常に困難だと認識していました。
その後、荻野正蔵教授が日系移民の歴史を復活させました。 私が彼に会ったとき、私はこのすべてのファイルを見せましたが、彼はこの家族全員のことをあまり知りませんでした。 そこで荻野先生と一緒に情報収集を始めました。
そんなある日、荻野教授から紹介されたのは飯室正雄さん(写真※1)。 彼は、日系移民に対するアメリカの捕虜の一環として、メキシコの FBI によって監視されていたことがあり、彼のバックグランドは私にとって非常に重要でした。 彼はベラクルスのプロテ強制収容所に収容されました。 日系移民の間での情報では、飯室さんがワシントンDCで救われたという情報が入り、その情報を得るためにそこに行きました。 私が初めて彼に会ったとき、彼は自分の歴史なんて誰も知らない、という理由で話すことを拒否しました。 彼の妻と 2 人の娘でさえ、彼が第二次世界大戦中に 8 年間刑務所にいたことを知りませんでした。 第二次世界大戦後、彼はメキシコで捕虜だったのです。
1941年、飯室さんが20歳の時、メキシコシティに住み始めました。 時はまさに日本の超国家主義教育の時代でした。つまり、彼はこの世代の日本の戦争の被害者の一人でした。 彼はテロ行為を一切行っておらず、彼はテロ行為ではないというアメリカ政府に再度手紙を書いただけです。
彼が私と話し始めた後、私はこの話を本にし、出版することにしました。
ー第二次世界大戦中、飯室さんのように政府に捕虜にされ、投獄された日本人がいるとは知りませんでした。 それらの歴史は歴史書には語られていません。
Sergio氏:メキシコの人たちもこの状況を知りませんでした。 一方で、都留きそさんも、非常に重要な人物で、彼は日本大使館と密接な関係を持っていました。 彼は戦争に巻き込まれましたが、捕虜とはなりませんでした。 私はそれらの話を持って、INAHに日本の移民について説明しました。
2022年5月サン・ルイス・ポトシ州で行われた日系人大会(CONANI)にて講演するSergio氏
私の研究は、日本人移民に関する多くの記事や本の出版で成果を残しました。アメリカ・カリフォルニア州のロサンゼルスの日系アメリカ人博物館にも記事を提供しました。 これまで、メキシコで約250件の取材を行ってきました。 MEXITOWN の読者が私の研究に興味を持っていただきましたら、Discover Nikkei の私の記事を読んでいただければ幸いです (プロフィールを参照してください)。
メキシコの日本人と日系人 - 今まで以上にお互いを知る必要がある
板垣総領事主催の日系人と日本人のネットワーキングイベント(2023年1月、レオン)
ーメキシコでは、日本人とメキシコの日系人のコミュニケーションがよりコラボレーションすることが必要だと思います。 彼らはどのようにうまくコミュニケーションをとっていくべきだと思いますか?
Sergio氏: 今年の1 月、グアナフアト州の在日本レオン日本総領事館の板垣総領事は、バヒオ地域で日本人と日系人の幅広いネットワークを作る絶好の機会を与えてくれました。非常に楽しい時間を過ごすことが出来、これまで以上にコミュニケーションが必要だと気づきました。こうした取り組みは、メキシコで日本人と日系人を紹介する新しい方法です。 板垣総領事が行ったような機会がまた続いていけばと思います。
メキシコシティでは、このようなネットワーキングはありません。 そのため、私がネットワーキングに参加する際には、同じようなネットワーキングのイベントを開催したいと考えています。 日本人コミュニティと日系コミュニティは分離されています。
日系人は日本語を流ちょうに話さないため、日本人コミュニティに入るのは簡単ではありませんでした。リセオ(日本メキシコ学院)では、メキシコの日本人とメキシコの日系人を紹介するプログラムがいくつかありますが、お互いにコミュニケーションを取るのは難しいです。メキシコのコミュニティには、日本人と日系人のギャップがあると思います。
日系の大企業がメキシコの状況を理解し、日系社会を認識し、彼らに協力してほしいと願っています。 日系人が働いている日系企業をレオンで数社見かけました。
多くの日系企業の社長や経営者は、板垣総領事が開催したようなネットワーキングに参加し、優秀な日系人を採用するよう努めるべきだと思います。同時に、多くの日本企業は日系コミュニティの今の現状だけでなく、彼らの歴史も知っておくべきです。
メキシコの日系コミュニティにとって、日系人は日本とメキシコの架け橋となり、メキシコの文化と日本語を伝えようとしています。 それらが彼らの使命です。 多くの日系人は非常にオープンな心を持っていると思います。
自分の先祖の歴史を知り、世界へ
在メキシコ日本大使館にて、外務大臣賞の授賞式
ー最後に、メキシコと日本の次世代へのメッセージをお願いします。
Sergio氏:日本人は、メキシコに来たら異文化を理解しようとしなければなりません。 もちろん、彼らは異なる状況や文化に対して心を開いています。 私は日本にいるとき、「ここはメキシコじゃない」と自分に言い聞かせました。 嫌なこともあるとは思いますが、同時に彼らはメキシコを楽しむことができます!
日系人、メキシコ人は自分の先祖が歩いてきた道を勉強してください。 私が若い日系人と話したとき、彼は祖父が働き者であることを知りませんでした。 私が彼の歴史を話した後、彼は彼の祖父の歴史を知り始めました。 私が彼の家族以上に知っていたことにとても驚きました。
日本人もメキシコ人も日系人も、日系一世の方々がメキシコで懸命に働いたことを知っている必要があります。そして、現在の生活に感謝してください。それが、若い世代に伝えたいことです。
2022年11月、チアパスにて山下泰之氏との講演
プロフィール:
UNAMを卒業し、日本研究を専攻。メキシコやラテンアメリカなどで多くの日本人移民に関する記事や書籍を出版。
最新の書籍、Los que vinieron de Nagano. Una migración japonesa a México (長野から来た人々: メキシコへの日本人の移住、2015) は、戦前と戦後の長野県からの移民の物語を語っている。 彼の有名な著書『La guerra contra los japoneses en México』 Kiso Tsuru y Masao Imuro, migrantes vigilados (メキシコにおける日本人に対する戦争: 都留きそ氏と飯室正雄氏、監視下におかれた日系移民)では、1941年の真珠湾攻撃の数十年前に日米間での紛争が日本人社会にもたらした影響について書かれている。
イタリア、チリ、ペルー、アルゼンチン、そして日本の大学で教鞭を取る。神奈川県庁の外国人専門家グループメンバー、横浜国立大学・客員教授、国際交流基金のフェロー。 現在、メキシコ国立人類学歴史研究所の歴史研究部門の教授。
2022年、外務大臣賞受賞。
ディスカバー・ニッケイよりプロフィール引用
https://discovernikkei.org/ja/journal/author/sergio-hernandez-galindo/
脚注:
※1 篠原誠二『RETRATOS DE LOS INMIGRANTES JAPONESES』移民一世の肖像、126ページ
編集後記:
Sergio氏は、メキシコにおける日系移民の歴史研究者の第一人者でもあります。Sergio氏の幅広い知識から、日系移民の歴史だけでなく、日本での経験について多くのことをお聞きすることが出来ました。
Sergio氏がインタビュー中にお話しいただいた通り、私たちは祖先の歩んできた道と、メキシコの日系一世がどれほどまでに苦しんだかをもっと知り、私たちの世代は何かを残す必要があるのかを考えなければならないです。メキシコの日系人の背景を知ることで、日系社会とのコミュニケーションが今まで以上に身近になる。Sergio氏のインタビューで強くそう思いました。
執筆者紹介:
温 祥子(Shoko Wen)
MEXITOWN編集長兼CEO。メキシコ在住5年半。MEXITOWN立ち上げて今年で3年目に突入。これからも様々なジャンルの方をインタビューしご紹介していきます!趣味は日本食をいかにメキシコで揃えられる食材で作ることができるか考えること。日本人の方が好きそうな場所を探し回ること。