みなさん、こんにちは。MEXITOWNでは、メキシコの元大統領、ビセンテ・フォックス氏のインタビューを行いました。
フォックス氏はグアナファト州出身で、2000年から2006年までメキシコの大統領を務めていました。在任中に日本との自由貿易協定を結び、日本の文化などをこよなく愛しています。
大統領を退いた後は、セントロフォックス財団を設立し、グアナフアト州のサンフランシスコ・デル・リンコンにアシエンダ・サン・クリストバルをオープンしました。
今回は、ビセンテ・フォックス元大統領の日本や小泉純一郎元首相との思い出を語ってくれました。それでは、ご覧ください。
English version
<目次>
私が愛してやまない日本文化
ー日本を訪れた際の思い出をお聞かせください。
フォックス氏:沢山ありますが、あえて挙げるとするなら5点です。
日本の素晴らしい文化、人々の教育、規律、秩序、時間厳守な様子
活気溢れる東京の素晴らしい街並み、そして富士山の美しさ
天皇・皇后両陛下とのレセプション、その素晴らしい温かさと優しさ、厳格な儀式
茶道
大阪で体験した最先端技術
ーフォックス氏がメキシコ大統領に就任されていた時は、日本の首相は小泉純一郎氏でした。
フォックス氏:私は2001年と2003年の計2回、メキシコ大統領として日本を訪れました。
2002年にはバハ・カリフォルニア州ロスカボスでのAPEC首脳会議、2004年にはメキシコ市での経済連携協定署の調印のために、小泉純一郎首相を迎えました。
日本航空の飛行機で東京に到着したのを覚えています。日本政府関係者や在日メキシコ大使館が私たちを迎えてくれました。簡単な歓迎セレモニーを行った後、首相官邸に向かいました。
首相官邸に到着後、小泉総理大臣に迎えられ、挨拶を交わしました。私たちは円卓に座り、メキシコと日本の関係における重要な問題について議論を始めました。
その中で、メキシコと日本の貿易を拡大する可能性について話し合われました。私は小泉首相に、日本へのメキシコ製品の輸出を増やすことに関心があることを表明し、小泉首相はメキシコへの日本からの投資を増やす可能性について話しました。
もう一つの重要な話題は、技術・イノベーションにおける協力でした。私たち二人は、技術開発を促進するための共同プロジェクトに協力することに合意しました。
会談後記念撮影が行われ、その後、日本政府が主催する晩さん会に出席しました。
日本人の規律とチームワークは、多くの人に影響を与えている
ー日本人や日本文化について、どのような印象をお持ちですか?
フォックス氏:良い質問ですね。私はまず日本文化についての印象を語り称賛しますが、各国の文化を分析することは、まずその民族のあり方や行動を理解することから始まると思ってます。
日本文化の分析に入る前の観察として、私は伝統、言語、宗教、習慣、価値観、生活様式、食の豊かさ、芸術だけでなくあらゆる種類の表現、要するに、文化の全体像として捉えて理解しています。
このように見てくると、日本文化の非常に顕著な特徴は、先祖代々の価値観や伝統を守り、古代の価値と現代の価値を見事に融合させ、保守と進化を調和させていること、伝統と未来を表現することだと考えます。
伝統的なものでは、近代化のために義理や義務、倫理的で高度な行動に関する一連のルール、個人主義よりもチームワークを優先することを忘れていないことに感銘を受けています。
近代以降、日本人は計画性を持って物事を進めてきました。行政、技術、科学研究などはその一つの例であり、伝統的な価値観と結びついて、日本や日本人の成功を物語っています。
この豊かな文化、そして芸術、料理、文学、ファッション、経済、政治、その他あらゆる面で全世界に広がっていく多くの表現力は、日本人を立派な国民にしていることが分かります。
日本人は名誉を重んじ、規律を守り、絶えず努力し、時間を守り、約束を守り、他の誰よりもチームワークを重視し、素晴らしい結果をもたらしています。
ここからは、私が思う日本文化の欠如について触れておこうと思います。人間は完璧ではありませんし、私が尊敬する日本人に対して、誠意をもっています。
日本は島国であり、長年孤立し、外国からの侵略行為に脅かされてきました。日本人は一般的に、やや隠遁的な振る舞いをし、外国人や彼らの地域社会とは簡単に交流しようとしていないように見受けられます。
グアナファトは外国人の方にオープンな州になった
ー10年ほど前と比較して、グアナファト州の生活や環境など、どのように変化したと思いますか?
フォックス氏:この質問については、もう少し時間を遡って、1995年に日本との関係が始まったときから昨年の2022年までを見てみようと思います。
グアナフアト州は、かつては外国からの投資が少ない地域で、農業工業生産、衣類、履物、皮革製品がメインの産業でした。私が州知事に選出された1995年は失業率は6.2%、雇用者数は157万184人でした。私の課題には、1992年から落ち込んでいたグアナフアト州の経済の回復がありました。
そのために、グアナフアト州の経済学者や優秀なエコノミストを州政府の一員として招き、市民や民間主導の参加も求め、バランスのとれた競争力のある経済対策を採用し、発展を図ることを優先しました。この政策はバランスが取れ、より公平な社会の発展と自然環境の尊重を実現するために貢献できたと思っています。
経済の活性化が急務であったため、私たちがとった戦略は2つの戦術でした。
1つ目は、企業への融資不足など、地場産業の業績を阻害している点に介入し、地場産業を支援することでした。そのための銀行を設立し、起業したい人に融資を行い、融資の対象とならなかった家族や小規模事業者を支援しました。バンコ・サンタフェ・デ・グアナフアトから恩恵を受けた起業家の数は、1995年から1999年までで40,000人を超えています。
もう1つの戦略は、地元企業が投資して産業を活性化させるための知識や必要な資本、手段を持たない状況だったため、グアナファト州に外国からの投資を呼び込むことでした。同時に、アジアとヨーロッパの中間に位置し、アメリカと隣接するメキシコの地理的状況を利用し、1994年に発効したアメリカおよびカナダとの自由貿易協定を最大限に活用することでした。
重要な目的は、多くの都市に工業団地を建設し、農業を経済基盤としている自治体が企業を誘致し、できるだけ公平に発展できるようにすることでした。
グアナフアト州はメキシコのほぼ中央に位置するため、500km以内に国内市場の75%を占めるという地理的な利点があります。しかし、国境や税関から遠いというデメリットがあったため、レオン市近郊のグアナファト国際空港に税関を併設しました。
他にもいくつもの政策が行われましたが、私としてはこれらが最も印象に残っており、良い結果も出すことが出来ました。1995年と2022年の比較してみましょう。
項目 | 1995年 | 2022年 |
失業率 | 6.2% | 2.9% |
雇用者数 | 1,570,184 | 2,828,639 |
1995年には数千万ドルで、そのほとんどがアメリカからのものだった外資が、現在ではメキシコ政府の第4次報告書では、グアナファト州が1999年1月1日から2022年12月31日までに受け取った総額は261億4500万米ドルであると報告しています。そして、様々な国から来ており、主に米国(外国投資全体の約40%を占める)、日本、ドイツ、中国、台湾からであり、スペインやイタリアからもありました。
また、イラプアト市に日本人学校が設立されたこと、芸術の発展や、新しい企業とともにグアナファト州にやってきた外国人経営者や労働者を受け入れ、支援することが非常に大切となってくることと思います。
最後に、私のアシエンダ・サン・クリストバルの写真を数枚掲載しますので、是非皆さんいらしてください。アシエンダはレオン市内から車で約30分の距離です。より多くの日本人の方と今後も交流することができることを、心より楽しみにしてます。
グアナファト州サンフランシスコ・デル・リンコンにあるアシエンダ・サン・クリストバルからの素敵な写真。
アシエンダでは、スパやバー、美味しい料理などを楽しむことができる。
アシエンダ・サン・クリストバルは、日本人の皆様をいつでもお待ちしております。
アシエンダ・サン・クリストバル
住所: Carr. León - Cuerámaro km 13, 36440 San Cristóbal, Gto., Mexico
電話番号: +52 477 325 5782
ご予約はこちら : https://haciendasancristobal.com/
執筆者紹介:
温 祥子(Shoko Wen)
MEXITOWN編集長兼CEO。メキシコ在住5年半。MEXITOWN立ち上げて今年で3年目に突入。これからも様々なジャンルの方をインタビューしご紹介していきます!趣味は日本食をいかにメキシコで揃えられる食材で作ることができるか考えること。日本人の方が好きそうな場所を探し回ること。